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昨日、9年間の通園生活を終えました

おはようございます。aoitoriです。

今日のお話は、非常に個人的な内容の日記となります。

9年間の通園生活を終えました

昨日、2018年3月30日、長女、次女と通った、9年間の通園生活を終えました。

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私の住む地域でこの時期に、家から一番近い保育園に姉妹そろって通うことができたのは、ラッキーとしか言いようがありません。

入園したのは、長女がやっと歩き始めるか、という頃のことでした。

母から、「保育園の先生は、子供には優しいけど、親には厳しい(ときもある)」という話を聞いていたので、若干ビビりながらの入園でした(笑)

毎月病院通いだった、はじめの3年間

やっと入園でき、優しい先生方に恵まれ、ホッとしたのもつかの間、長女の入園後3週間で、入院することになりました。

「集団生活に入るとすぐに風邪をひく」、「はじめの数年はまともに通えない」、とは聞いてはいたものの、まさか、いきなり入院とは。。。

しかも、はじめは1週間くらい、と言われた入院も、長引き、結局3週間の入院となりました。

その後も、長女は、毎月何かしらの病気にかかり、小児科の診察券の「保険証見ました欄」は、スタンプがずらりと並び、1年間通院しなかった月がない、という年が続きました。

特に、最初の1年は、保育園に通えたのは実質半分くらいなんじゃないか、と思うほど、登園できない日が続きました。

しかし、2歳児クラスも終わりになる頃には、大きく体調を崩す日も減り始め。

ちょうどその頃に次女が生まれました。

姉妹で一緒に通った2年間

今年卒園した次女が入園したのは、やはり歩き始めた頃の5年前。

長女と同じ園に入園することができたので、勝手もわかっていて、2人まとめて送り迎えできる、次女入園後の2年間は比較的楽な時期でした。

入院したり、発熱したり、なかなか熱が下がらなかったりした長女に比べると、次女は嘘のように元気で、入園直後から順調に通うことができました。

園では、長女が次女と遊んだり、外遊びのあと早めに引き上げる次女を長女が送ったり、と、お互いに心強いものがあったようです。

とは言っても、2人分の荷物は半端ではなく(苦笑)

次女を抱っこして、2人分のシーツを抱えて帰る金曜日には、「なんで自分の荷物も持たないのか」と、長女を厳しく叱ってしまったこともありました。

今となってみれば、しっかりしているように見えた長女も、まだまだ甘えたい時期だっただろうに。
もう少し優しくできていたら、という思いでいっぱいです。

先生とのお別れが寂しすぎた長女の卒園

長女が卒園したのは3年前。

クラスのお友達の出入りも少なく、担任も同じ先生に長いことお世話になっていました。

そんな安定した環境だったので、とにかく、卒園するのが寂しくて。

べったりというわけではないけれど、顔を合わせるとホッとする、慣れ親しんだメンバーと別れる寂しさ。

そして、赤ちゃんの頃から子どもたちを、そして親である私たちを育ててくれた先生方と別れる寂しさ。

とにかく先生に恵まれて、特に長女のクラスは、同じ先生との関わりが長かったこともあり、「この先生方と別れてやっていけるのか?」と思ったほどでした(笑)

でも、この時は、まだ次女が保育園にいるから、先生方ともいつでも会えるし、「まだまだ大丈夫」(笑)という思いがありました。

お迎えのたびに泣かれた2年間

子供を保育園に預ける時の大変さとして、「預ける時に泣かれる」ということが言われますが、我が子たちは、ほとんどそれはありませんでした。

その代わり、ということなのか、次女には、お迎えの時に泣かれました。

我が家のお迎えは、他のお友達より若干早めで、中途半端な時間でもあるようで、「ちょうど遊び始めたところだったのに!」という気持ちの表れだったようです。

お迎えの時間に遅れないように、分単位で時計とにらめっこしながら迎えに行って、「もう来ちゃったの?」という顔で泣かれるというのは、なんとも悲しいものですが(苦笑)

そんな態度も、「泣きわめくなんて赤ちゃんみたいでカッコ悪い」と思うのか、年長になる頃にはおさまってきました。

「保育園生活はもうお腹いっぱい」なんて思っていたのに・・・

いつまでも赤ちゃんだと思っていた次女も、すっかりお姉さんな年長さんになり。

年中、年少のお友達をサポートする姿なんかを見ると、「いつの間にやら大きくなったなぁ」と思うことが多かった最後の1年間。

昨日、とうとう保育園生活最後の一日を迎えました。

つい2週間前までは、「保育園生活はもうお腹いっぱいだ」なんて思っていました。

長女の時は、お友達や先生方とお別れするのが寂しくて、保育園生活に執着する気持ちが強かったのです。

でも、長女の様子を見ていると、保育園は楽しかったしとても恵まれた環境だったのは確かなんだけど、小学校に入れば入ったで、また新しい出会いもあって、新たな楽しいこともあって。

次女にもそういう未来が簡単に想像できるので、保育園生活に対する執着心は全然なくて、むしろ、早く小学校生活が始まらないかな〜、お迎えなくなって楽だろうな〜、なんて思っていました。

でも、いざ最後の一日を迎えてみると・・・

もう朝の連絡帳を書く時点から、涙で視界がぼやけ・・・

担任の先生方、園長先生やその他の先生方、職員のみなさま、とにかく、これまで関わってくださった全ての方々に対する感謝の気持ちでいっぱいなのに、いつも通りのギリギリの時間に連絡帳を書き始めるものだから、いつも通り、うまく言葉がまとまらず。。。

お迎えの時間が近づくにつれて、「〇〇(次女の名前)の保育園生活もあとちょっとだな」と、なんだかドキドキし始め・・・

春の花々に彩られはじめた9年間通い慣れた道も、最後の日には涙で霞んでよく見えませんでした。

園につくと、お別れ会も終わりひと段落したところ。

ひとり、またひとり、と散り散りになっていくところ。

「〇〇ちゃん、お迎え〜」とお友達に呼ばれて、振り向く次女。

いつも通りの「もう来ちゃったの?」という残念そうな顔。

そこにわっと泣き出しそうな表情が一瞬加わるも、私の涙目を見てか、ぐっと涙をこらえ。

「最後に」と先生に促され、仲のいいお友達とお互いに涙ぐみながら、覚えたての(一昨日の晩練習しました)「線路は続く〜よ〜」の手遊びをやって、それを周りのお友達にも見てもらって。

私の方はというと、連絡帳でちゃんと伝えられなかった感謝の気持ちを伝えようと思っていたのに、やっぱりうまく言葉にできず・・・

「また遊びに来てね!」「ランドセル見せに来てね!」という優しい言葉に見送られ、園をあとにしました。

いつもの帰り道の「どうだった?」「楽しかった」というやりとり。
いつもハラハラする階段からのジャンプ。

この道を次女と手を繋いで帰るのも今日で最後か、いや、手を繋いで一緒に歩くことすらもう少なくなるんだろうな、と思うと、帰り道の景色もやはり、ぼやけてよく見えませんでした。

帰ってからは、何とか、「5年間、元気に通ってくれて、ありがとう」と次女に伝えることができました。

改めて思う、「今」を生きているか

私なりに悩みながらも、精一杯走り続けた9年間でした。

周りのバリバリ働くママたちに憧れ、若干の劣等感を抱きつつも、子どもたちとの時間を優先したい、それが私のやり方だ、と、過ごしてきた9年間でした。

それを許してくれた夫、母、義父母に対し、感謝の念でいっぱいです。
本当にありがとう。

おかげで、子どもたちが、親の物理的なサポートを必要とする本当に可愛い時期を、子どもと共に充実して過ごすことができました。

でも、そう思う反面、「あの時もっと優しくしていたら」「手を止めてちゃんと話を聞いていたら」と思うことも多々あって。

「早く寝るため」「明日のため」「週明けのため」「将来のため」と焦る気持ちがいつもどこかにあって、目の前の「今」にちゃんと向き合っていないことも多かったな、とも思います。

長女にしろ、次女にしろ、親のサポートを必要とする時期はあとわずかでしょう。

長女に至っては、すでに身の回りのことは1人でできるし、長期休業中ともなれば、掃除や食事作りの戦力になってくれます。
そして、手を繋いで歩くことはめっきり減りました。

次女は、1年生のうちはまだまだ手がかかるとは思いますが、自立への大きな一歩を踏み出す時期です。

手取り足取りやってあげたり、失敗しそうなことに口を出したりするのではなく、子どもの気持ちをしっかりと受け止め、甘えたいときには甘えさせ(むしろ甘えて欲しい(笑))、常に今この瞬間にしかない、「今」に向き合っていきたいと思います。

最後まで読んでくれてありがとう

今日はいつにも増し、個人的な内容の記事となりました。

それにもかかわらず、最後までお読みいただいた、あなた、本当にありがとう。

個人的で感傷的なこの記事にお付き合いいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

私は、自分の感情を表現することが苦手です。
だから、いつも涙や、ときには怒り、という形で感情を溢れさせてしまいます。

でも、今回は、今の気持ちを忘れたくなくて、涙を流すだけではなくて、ここに記録しておくことにしました。

子育ての先輩方からは、「まだまだ大変なのはこれからよ」とか、小さいお子様の子育て真っ最中の皆さまからは「そんな心の余裕なんてない」とか、そんな風に思われるかもしれません。

でも、私にとって、一つの転換期になるのではないか、とも感じていて、それを記録したかった、ということもあります。

その時を、何らかのご縁で共有できたことを嬉しく思います。

心から、ありがとう。